黒羽地区
見どころ
ぎゃらりー原伊
昭和28年(1953)引田町黒羽生まれの、藤井アサ氏の絵画が飾られている。
絵はシュールリアリズム(超現実主義)派で、藤井アサ氏独特のマチエールとメルヘン調の雰囲気がある絵画である。建物は普通の民家であるが、館内は来館者をあっと言わせるような素敵な空間が広がっている。
アンモナイト
お亀石
市指定文化財。全長2.35m、高さ70㎝、横幅1.60m、底長1.65m、首回り1.80m。
黒羽の矢野山の谷間にある石。千年も万年も生きた神亀。
天から降ったのか、地から出現したのか誰も知らない不思議な石。亀の首の向きによって豊凶を占う。立石橋の北詰県道の東側に「かめいし八丁」と刻まれ、三谷花酔の歌が記された石碑が立っている。この碑から南八丁(約872m)のところに亀石がある。
さとうきび収穫
水もちの悪い和泉砂岩の土壌がサトウキビに適していたため、多くの地区でサトウキビ栽培が盛んに行われている。
サトウキビは相生の特産品でもある「和三盆」の原料である。
吉祥寺
毘沙門庵ともいう。黒羽「毘沙門天」由来が書かれている。
(大昔、呉羽(黒羽村)に大きな毒蛇が住み着き村人たちを苦しめた。ある年、村一番の美少女がイケニエに選ばれた。父母は弁天様に救いを願い、弁天様は少女の身代わりになった。少女を丸呑みしようとした毒蛇に大ムカデが突進してきた。逃げる毒蛇に大ムカデは毘沙門天の姿に返り、黒い羽根の付いた矢を射かけ、毒蛇は倒れた。それ以来「黒羽村」と呼ばれるようになった。(一部抜粋)}毘沙門庵には毘沙門天本尊が祀ってある。
黒羽神社
通称、みょうけんさん。
5社(山の神、荒の神等)お合祀した。応仁元巳年(1467)8月4日、永塩因幡守氏継公が創立。一説では黒羽村は水が少なく、毎年旱魃に見舞われていたのを見るに見かねた永塩因幡守氏が大池を築いたが、雨が少なく満水しなかった。村人たちは思案の上、大木の密生している浄地に大御中主命、天水分命を祀って、雨乞祭を行ったところ、その後は旱魃もなく、池はいつも水をたたえるようになったことを喜び、産士神として祀ったと古老の口碑が残されている。